今日は、九重部屋の千代の富士 です。
7月31日、元横綱・千代の富士の九重親方が亡くなりました。私には大きなショックだったのですが、今日ようやく時間がとれて、手持ちの千代の富士の映像を全部見ました。
私は千代の富士が下から駆け上がってきた頃は、あまり知りません。中学・高校と忙しい時代だったので、相撲をあまり見られませんでした。ですから、私の千代の富士のイメージは、黒いまわしの横綱。もう立派な横綱でした。
千代の富士の引退は、仕事の泊まりがけの研修先で知り、夜、寮から急いで実家に電話したことが、私の周りでは語り草です。
千代の富士は映像を見る限り、十両や幕に上がってきた頃は、腕っぷしは強かったけれども、下半身の筋肉がまだそれほどでもありません。小さいからだで大きな相撲を取ろうとしていたことで無理がかかっていた頃ですが、下半身がしっかりできていなかったことも、無理に拍車をかけたのかなあと思いました。
でもこの頃は、本当に一場所一場所、目に見えてからだが大きくなっていくんですね。本人も、踏ん張れなかったところで踏ん張れる、力負けしていた相手に負けなくなった、という実感が本当に短期間に実感できたのではないかと思います。
昭和61年頃が本当に強い。伝家の宝刀、左上手は有名ですが、横綱が他の力士より早くたくさん動くのですから、そりゃあ、勝ちます。相手ももちろん、だんだん研究してきて、何とか千代の富士に左を取られまいとするのですが、例え左が取れなくても、下手でひねったり、左を相手の背中や脇に当ててすくったり。いくらでも勝つ動きができるんですね。
そして、相手より上回るその動きができなくなって、引退。ひとつの時代が終わったなあ、と、しみじみ感じたことを思い出します。
千代の富士の取り組みを見ていると、やはり、この時代が私が一番夢中になって相撲を見ていた時期だなあと思います。対戦相手や行事さんが、全部懐かしくて堪らない。
行事さんでは、私が「木村庄之助」とイメージしている第二十七代。力士では、若瀬川、琴ヶ梅、陣岳なんて渋いあたり。
そして、何といっても私の生涯第一位の北天佑。千代の富士に両廻し取られて、再三投げを受けても勝って2度目の優勝、なんていう相撲はもう、見ごたえ十分。
北天佑は、いつかきっと記事にします(今のところ贔屓過ぎて絵が描けない)。
千代の富士は、引退してからは協会の中ではいろいろうまくいかなかったみたいですが、相撲取りとしては、その相撲内容、努力は言わずもがな、髪が多くて筋肉質で、絵になるところも含めて、間違いなくトップクラスでした。
61才で、あまりにも早すぎました。ご冥福をお祈りいたします。
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